初期 1837年(ビクトリア女王即位)〜1861年(夫君アルバート公死去)
ビクトリア時代の初期は、産業革命、植民地との交易、万国博覧会など、華やかな時代でした。
この時代のジュエリーは、明るさと華やかさが満ち溢れていて、宝石では特にカーバクンクルと呼ばれたカボッションのガーネットと、トルコ石が目立ちました。デザインは植物、蛇、ゴシック、ルネサンスの復元が流行しました。
1830年はアルジェリア模様、1848年はアッシリア模様が流行しました。
中産階級は上流階級の真似をし始めましたが、そういったジュエリーを手に入れるのは至難の技であったようです。この頃、低品位の金の使用も合法化し、安い素材のジュエリーが生まれてきました。カメオ、モザイク、シェルカメオ、ラバーカメオも流行しました。
中期 1861年〜1880年(即位50周年)
夫君が急死した後、女王は深い悲しみで、宮廷も長い喪の時代に入ります。喪に服する意を表す装身具として、モーニングジュエリーが流行、黒のエナメル、ジェット(木の化石で、石炭の一種)、ボグオークなどが使われました。死者の髪で編んだブレス、髪を入れたロケット等も再流行します。しかし富裕階級の庶民は王室の嘆きにつきあうことはなく、むしろ陽気でしたたかでした。古代デザイン、技法に倣ったヒストシズム(考古学様式、エトルリア、ギリシャ、ルネッサンスのエナメルなど、過去のジュエリー、デザイン、技法)が流行します。
1850年頃、アメリカとオーストラリアで金鉱山が、1867年はアフリカでダイヤモンドが発見され、大量のダイヤが欧州に入ってきます。これよりジュエリーの大衆化時代に入り、デザインは星、月、昆虫、猟犬、狐、馬蹄等まで広がりました。女王の影響は宮廷の周りにとどまり、一般の人々は自由に、あらゆる対象から生まれるジュエリーを楽しんだ、二分化の時代であったといえます。
後期 1880年〜1901年(女王死去)
銅の板の上に名前やメッセージを刻んだ機械織のブローチ、鳥、花、蝶が大量に作られました。手作りのデザインを目指す美術運動(アーツ・アンド・クラフト)も起こっています。安い素材(七宝、ムーンストーンなどの半貴石)を使用した銀製品で多く使われます。しかし細工師の訓練が足りず、面白みはあるが物足りないものであったようです。
|