1804年に支配階級をつくったナポレオン、その治下のフランスが世界のジュエリーの中心でした。この頃、貴族階級ができ、彼らのファッションの基本は、ナポレオンの最初の妃ジョセフィーヌと、二度めの妃マリールイーズでした。ナポレオンは古代ギリシャ、ローマ時代の文物に関心があり、またフランス革命後、盗まれて分散した各地のブルボン王家の宝石を回収し、自分の好みに作り替えました。これを担当したのが、「ショーメ」の創始者ニトーでした。
デザインはアーカンサスの葉、パルメット模様、ギリシャの壺、凱旋門や鷲、月経樹などギリシャ、ローマの紋様でした。スタイルは優雅で、完全左右対称のもの。またこの時代は、カメオ、インタリオ、ティアラ、櫛、大柄なイヤリング、モザイクを使ったネックレスも多く作られました。金は希少だったため薄く使い、ダイヤモンドを留める台座もシルバーで、ほとんどが裏面を金属で覆っていました。
1798年のエジプト遠征後、スフィンクス、パルメット、ピラミッドなどのデザインが流行します。1804年のベルリン遠征後は、鋳鉄に黒漆をかけたジュエリーの技術が持ち帰られ、長きにわたって使われました。
この時代、ダイヤモンドの代用となったのは、鉄であるカットスチール(鋼鉄にファセット(カット面)をつけたもの)やマーカサイト(黄鉄鉱をカットしたもの)でした。
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