ジュエリーの様式
1800〜1840年 1840〜1900年 1900〜1920年 1920〜1940年

1800〜1840


フランス

1804年に支配階級をつくったナポレオン、その治下のフランスが世界のジュエリーの中心でした。この頃、貴族階級ができ、彼らのファッションの基本は、ナポレオンの最初の妃ジョセフィーヌと、二度めの妃マリールイーズでした。ナポレオンは古代ギリシャ、ローマ時代の文物に関心があり、またフランス革命後、盗まれて分散した各地のブルボン王家の宝石を回収し、自分の好みに作り替えました。これを担当したのが、「ショーメ」の創始者ニトーでした。

デザインはアーカンサスの葉、パルメット模様、ギリシャの壺、凱旋門や鷲、月経樹などギリシャ、ローマの紋様でした。スタイルは優雅で、完全左右対称のもの。またこの時代は、カメオ、インタリオ、ティアラ、櫛、大柄なイヤリング、モザイクを使ったネックレスも多く作られました。金は希少だったため薄く使い、ダイヤモンドを留める台座もシルバーで、ほとんどが裏面を金属で覆っていました。

1798年のエジプト遠征後、スフィンクス、パルメット、ピラミッドなどのデザインが流行します。1804年のベルリン遠征後は、鋳鉄に黒漆をかけたジュエリーの技術が持ち帰られ、長きにわたって使われました。

この時代、ダイヤモンドの代用となったのは、鉄であるカットスチール(鋼鉄にファセット(カット面)をつけたもの)やマーカサイト(黄鉄鉱をカットしたもの)でした。


イギリスジョージアンアン様式


1800年頃は、イギリスのジュエリーはフランスに比べて相当に見劣りしていたようです。この頃のイギリスで流行していたジュエリーはセンチメンタル・ジュエリーと呼ばれ、葬式というものに重点を置いたものでした。死者の髪の毛を使ったもの、いわゆるヘアー・ジュエリーも登場します。

ダイヤモンドの使用は、貴族のみであったのが、ジェントリイと呼ばれる騎士階級まで広がっていきました。

1820年前後、女性の服装が大きく変わり、デコルテと呼ばれる胸開きの大きな服が作られ、ネックレスを飾る場所が生じました。髪に重点を置いたスタイル(ティアラ、櫛、髪飾り)が中心で、植物の花や葉を中心に、自然なデザインに移行しました。

1830年代、過去に憧れ、ゴシック時代やルネッサンス時代のデザイン、作りの模倣が始まります。(ネオゴシック様式、ネオルネッサンス様式)。この頃エナメル画(風景、人物)も登場してきます。デザインは植物、十字架、羽根、蛇なども登場。ネックレス、ブレス、イヤリング、ペンダントなど、ジュエリー事情は賑やかになりました。

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